アベック天誅組



俺は、大阪の鉄工所で働いている矢野悟利だ。
一部の奴等は、俺をアベック天誅組の隊長と呼ぶ。
これは、俺がまだ若い頃の話だ。

1985年の春。
俺は、毎日、イライラしていた。
薄暗い工場で夜中まで働き、汚い4畳半のアパートに帰る。
理由のない怒りで身体が爆発しそうになっていた。
その日も夜中まで働き、電車に乗って帰路についていた。
鉛のように重い身体をかかえ、ぼんやり暗い窓を眺めていた。
そこに一組のアベックが映っていた。
座席に広く座り、お互いの身体をまさぐり合いながら、これ見よがしに激しくキスをしていたのだ。
こんな恥知らずなアベックを最近よく見かける。
世間は、今、好景気らしい。
テレビでも文化人共が「日本人は、もっと遊べ。」と言っている。
安い給料でキツイ仕事をしている俺には、まるで嫌味の様に聞こえていた。
そんな時代を反映しているのかバカで軽薄な日本人が増えた。
この国は、もうダメなんじゃないのか?

アベックは、ひとしきりいちゃつくと電車を降りるために席を立った。
ドアの前に立ってる俺を突き飛ばすと「どけや、オッサン!」と吐き捨てる様に言った。
連れの女も、俺を見下すような目で見やがった。
俺の中の何かが、ブチッと音を立てて切れた。
俺は、奴等に続いて電車を降り、後をつけた。
奴等は、道を歩きながらもお互いの身体をまさぐり、キスをしている。
俺は、怒りで目眩がしそうだった。
人通りの少ない路地に出た。
俺は、奴等に「おい!」と声を掛けた。
男が、振り向いた瞬間に顔面に思い切りパンチをたたき込んだ!
男は、数メートル吹っ飛び、身動きしなくなった。
背中で女の金切り声を聞きながら俺は、ダッシュで逃げた。
たった1発のパンチで俺より背の高い男をダウンさせた。
もしかして、俺は強いのか?
鉄工所で働いている間に強靱な肉体を手に入れたのか?
アパートに帰ると笑いがこみ上げてきた。
誰もが迷惑に思いながら法律で裁けないアベック共・・・。
それを俺が成敗してやるんだ!
見とけよ、クソアベック共!

それから、俺は、町を彷徨いアベックを見かけるたびに後をつけ、
人通りの少ない場所で男を殴り、速攻で逃げることを繰り返した。
面白いように、たった1発のパンチでムカツク奴が吹き飛ぶのだ。

仕事中に流れるラジオで、最近、アベックが殴られる事件が頻発しているというニュースが流れた。
ラジオのDJは、「殴られるのは、アベックやからねー。
こんなこと言うたらあかんけど、何か気持ちええよね。
俺らに替わって天誅してくれてるみたいやで。」と言っていた。
そうだ!これは正義の戦いなのだ!
やがて俺は、大阪だけでなく神戸にも遠征しはじめた。
日本中のアベックを殴り飛ばす勢いだった。

三宮の繁華街を歩いていると、目の前を一組のアベックが歩いている。
熊のように大柄の男とモデルみたいにスタイルのいい女。
どう見ても美女と野獣じゃないか?
多分、男は金持ちで、女は男の金が目当てで付き合っているのだ。
そう考えると、また怒りがこみ上げてきた。
天誅じゃ!

そのアベックが路地に入ったのを見計らい、いつものように「おい!」と声を掛けた。
男が振り向いた瞬間に俺の必殺パンチが顔面に炸裂した!
が、男は、蚊にでも刺されたように平然としている。
「何や、キミは?何で俺を殴るんや?」
俺は、動揺しながらも「お前らがアベックやからや!アベックは、悪なんや!」と叫んだ。
男は、冷静に受け答えしてきた。
「俺は、自衛隊に入ってて、休みで実家のある神戸に帰ってきたんや。
それで嫁さんと三宮で飯を食った。それがキミの言う悪か?」
「じゃかましいわ!俺は、日本中のアベックに天誅を加える為に生きとるんや!」
俺は、再び男に殴りかかったがパンチは届かなかった。
逆に俺が殴られて気を失ってしまったのだ。

気がつくと、俺は、広い座敷に寝かされていた。
起きあがり、廊下を歩いていくと道場に出た。
一人の老人が座っていた。
「おお、気がついたかね!」
老人は、俺に人なつこい笑顔を見せた。
「大吉に殴られたそうやな。あいつは、朝早くに部隊に帰ったで。」
あの男は、大吉という名前なのか。
道場の正面に大きな額が飾られていた。
「あれは?」と俺が訊ねると老人は、「あの額か?あれは、ワシがこの道場を開くときに
知り合いの書道家に書いてもらったものや。」と答えた。
俺は、司馬遼太郎の小説が好きだったので、誰の言葉なのか、直ぐに分かった。
(おもしろきこともなき世をおもしろく)
幕末の志士、高杉晋作の辞世の句だった。
奥から大吉の奥さんが赤ん坊を抱いて出てきた。
子供もいたのか。
「あの人、ああいう人だから。真っ直ぐだから。」
そう言うと屈託のない笑顔を見せた。
こんな美人が、なぜあんな熊のような男と結婚したのか?
おれの頭の中は、パニックになった。

何に惹かれたのだろうか?
俺は、花山流空手道場に入門した。
アベックを襲うかわりに週末になると道場に通った。
(おもしろきこともなき世をおもしろく)
まるで呪文のように、その言葉を唱えながら。

1995年1月17日阪神淡路大震災。
俺が大阪から三宮に駆けつけた時には、花山家は道場もろとも倒壊していた。
花山大吉の奥さん望さんは、建物の下敷きになり亡くなっていた。
部隊から戻った大吉の悲しみぶりは、饒舌につくせない。
約10年間の付き合いから、俺にとって花山家の人々は家族同然になっていた。

無法地帯になりかけた神戸の町を道場の門下生達で自警することになった。
その頃、ボランティアで神戸に来ていた女の子と知り合った。
それが今の女房だ。

まさに光陰矢の如し。
バブルは崩壊し、日本は不況のどん底だ。
俺は、今も大阪の鉄工所で働きながら週末は、神戸の町の自警団を続けている。
その自警団をあえて俺は「アベック天誅組」と呼んでいる。
俺にとって暗い過去だが、それが運命を変えたからだ。

女房子供持ちになった俺は、今も仲間達と神戸の町を走りながら心で呟く。
(おもしろきこともなき世をおもしろく)



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