お話倶楽部


僕は、連日の残業で疲れ果てていた。
まるで働いて食べて眠るだけのロボット・・・。

いつものように、深夜にアパートに帰り着くと郵便受けに1枚のチラシが入っていた。
「お話倶楽部開店!」
何だこりゃ?
場所は、近所だ。
いかにも怪しそうな感じの店だ。
気にも止めずに、その日は、気を失うように眠ってしまった。

休日になり、部屋の片づけをしていて、捨てずに置いてあったチラシを手に取った。
冷やかしのつもりで行ってみることにした。
どうせ、何もすることが無いのだ。

町外れの住宅街。
そこに建っているマンションの3階に「お話倶楽部」はあった。
見た目は普通の部屋だ。
表札に「お話倶楽部」と書かれているだけだ。

思い切ってノックをしてみる。
直ぐにドアが開き、口髭を生やした中年の男が顔を出した。
「いらっしゃいませ!癒しの館、お話倶楽部へ!」
僕が、突っ立っていると男は、腕を掴んで部屋に招き入れた。
「ど〜ぞ、ど〜ぞ!」

「ここは、どんなところなんですか?」
「えっ?御存知無い?
結構結構!ご説明致します。
当店は、店名通りお話をするところでございます。
話し相手は、お客様のお好みに合わせます。
時間は、1時間、料金は、1万円でございます!」

話をするだけで1万円!高すぎるんじゃないか!
帰ろうかと思ったとき、奥の部屋のドアから可愛い女の子が顔を覗かせた。

「あの子と話せるんですか?」
「はいはいはい!存分にお話出来ますよ〜!」

1万円を払い、奥の部屋に通された。
先ほどの女の子がにこやかに迎えてくれた。
「こんにちわ〜♪私、ユウカです!楽しくお話しましょうね♪」
部屋に入ると、いかにも若い女の子の部屋という感じだった。
ラジカセから静かな音楽が流れ、良い香りのお香が焚かれていた。

「何か飲む?」
「それじゃ、コーヒーを。」
サイフォンから入れたてのコーヒーが注がれ、口にする。
美味い!

差し出されたクッションに座り、ユウカちゃんと向き合う。
緊張するかなと思ったが、ユウカちゃんは、昔からの友達のような口調で話しかけてきた。
僕も自然にフレンドリーな気分になった。
まるで友達と世間話をするように会話が弾む。
楽しいワクワクするような一時だった。

ピピピピ、ピピピピ・・・!
目覚まし時計が音を立てた。
もう1時間経ったのか!

ユウカちゃんに見送られながら「お話倶楽部」を後にした。
楽しかった!
お話をするだけで、あんなに楽しいものなのか!

僕は、休みがくるたびに「お話倶楽部」に足を運んだ。
ユウカちゃんも会うたびに親密になっていくようだった。

「膝枕してあげようか?」
ユウカちゃんの笑顔に誘われて、正座した太股に頭を置いた。
ユウカちゃんは、リコーダーを取り出すと吹き始めた。
この曲は「ふるさと」だ。
僕は、目を閉じた。
暖かい物に包まれたような気持ちになり、自然に涙が流れた。

もう何度目のお話倶楽部になるだろうか?
いつもにマンションの3階のあの部屋に行くと表札が外されていた。
ドアを何度ノックしても返事が無い。
消えてしまった!僕のお話倶楽部が消えてしまったのだ!

また、いつもの毎日が戻ってきた。
働いて食べて眠るだけの日々・・・。
また、話がしたい!
誰かと話がしたい!

僕は、繁華街に出た。
思い切って道を歩く人達に声をかけた。
「誰か僕と話をしてください!
1時間、1万円払います!
いや、1分・・・、30秒!
30秒で1万円払いますから!」

僕の目の前を無数の人達が歩いていく。
なのに、誰一人として僕を見る人すら無かった・・・。



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