悪夢のような恋



季節の変わり目は、身体を壊しやすい。
案の定、風邪をひいてしまった。
夜中に脂汗をかきながら咳き込む毎日が辛くて、流石に医者嫌いの僕も病院に行った。

町外れにある白い大きな建物。
昼下がりの待合室は、数人の老人達に占領されていた。
座るスペースも無いので順番が来るまで部屋の片隅に立ち、ぼんやりと廊下を眺めた。
左右に病室が並び、奥のドアの向こうには別棟へと続く渡り廊下が有るらしい。
長い退屈な時間。
廊下の奥のドアが少し開き、パジャマを着た中学生ぐらいの女の子が顔を覗かせた。
僕と目が合うと少し微笑み、すぐに顔を引っ込めた。
ここの入院患者なのだろう。
僕は、少し咳き込みながら壁に寄りかかった。

やっと名前が呼ばれ診察室に通される。
長い待ち時間に反して、診察は直ぐに終わった。
1週間分の薬を受け取り、病院の外に出た。
出口に向かって歩いていると足元に何かが当たった。
紙飛行機だった。
文字が見えたので広げてみる。
『私を助けて!』
辺りを見回すと、あの少女が2階の窓から、こちらを見ている。
少女は、また紙飛行機を飛ばした。
『今夜10時』
顔を上げたときには、もう少女の姿は見えなくなっていた。

なぜ僕は、此処へ来たのだろう?
多分、入院生活に退屈している少女の悪戯に違いないんだ。
そう思いながらも僕は真夜中に病院の塀を乗り越え、物陰に身を潜めている。
僕は、心の中で待っていたのかもしれない。
何かを待っていたのかもしれない。

僕の咳は止まっていた。
ここの病院は、なかなか的確な診察をするようだ。
僕が此処へやって来たのも評判が良かったからだ。
そこから逃げようとする少女は、何を悲しんでいるのだろうか?

「来てくれたのね。」
顔を上げると目の前にパジャマ姿の少女が立っていた。
2階から布きれを結んだ様な物がぶら下がっている。
あそこから降りてきたのか?

「さあ、私を連れて逃げて!」
「逃げるって、キミは病気なんだろ?治療を続ける方が良いんじゃないのか?」
「治療?違うわ、あれは見せ物よ!」
「見せ物!?」

少女の降りてきた部屋に灯りがつき、辺りが騒がしくなってきた。
「あそこに下水道があるから。」
少女は、僕の手をひき、建物の陰に隠れたマンホールの前に連れて行った。
重い蓋を持ち上げると人が一人通れるぐらいの通路が現れた。
少女は、怖じる事無く暗い穴の中に降りていく。
僕も仕方なく後に続く。
中から蓋を閉じると辺りは闇に包まれた。

カチッと音がして丸い灯りがともった。
少女は、懐中電灯を手に持っていた。
計画は周到に立てられていたようだ。
底は、以外に広く、向こうの方まで通路が続いている。
下水道特有の悪臭がするが、我慢出来ない程では無かった。

少女は、先に立ち通路を歩いていく。
「やっぱり戻った方が良いんじゃないのか?後々、面倒な事になるんじゃないのか?」
少女は、振り返らずに返事を返した。
「ずっと病室で考えてたことだから。後戻りは、したくないの。」

しばらく無言で歩いていたが少女は、自分から語り始めた。
「私、グニャグニャ病なの。」
「グニャグニャ病!?そんな病気が有るのか!?」
「珍しい病気よ。だから私は、病院で検査漬けにされてたの。」
「あそこに入院して永いの?」
「物心が付いたときには病室にいたわ。私は、病院で育ったのよ。」
「見たところキミがそんな妙な病気にかかってるようには見えないんだけど。」
「今はね。そのうち私の身体は壊れていく。」

身体が壊れる!?グニャグニャ病とは、どんな病気なのだ!?

やがて少女の足元がふらつきだした。
「危ない!!」
僕は、倒れかかった少女の身体を後ろから支えた。
少女は、辛そうな顔をしていた。
「私、定期的に輸血をされないといけないの。誰かの血を貰わないと生きていけないの。」
「それなら病院に戻った方が良いよ。今なら、まだ間に合うだろ?」
「戻るのはイヤ!誰かの血を貰うのはイヤ!」
「でも他で輸血なんて出来ないだろ?」
「身体の中に血を補給すれば良いの。それで、発病しないの。」
「それは、口から吸っても良いってこと?」
「そう・・・。」
少女は、俯いて悲しそうな顔をした。
僕は、左腕をまくって少女に差し出した。
「僕の血を吸えばいいよ。」
少女は、一瞬、驚いた様な顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「ありがとう。」
そう言うと小さな唇を僕の腕にあてた。
一瞬、身体に痛みが走ったが少女の横顔を見ていると我慢出来た。
「僕の血は美味しいか?」
少女は、口元から血を垂らしながら微笑んだ。

僕は、足元を照らしてもらいながら少女を背負って通路を歩き出した。
長い暗い、悪臭漂う下水道の通路。
僕は、背中に少女の存在を感じながら心の中では不思議な幸せを感じていた。
「苦しくなったら僕の血を吸って良いからね。」
「ありがとう。」

通路の突き当たりに出た。
なぜか下り階段になっている。
仕方なしに降りていく。
また長い通路。
その突き当たりも下り階段。
どんどんどんどん僕達は下へ降りていく。
地獄の底まで続く様に下へ下へと降りていく・・・。

やがて小さなドアが現れた。
開けてみると、そこは目の前に海が広がる砂浜だった。
こんな地面の底に、なぜ海が在るんだ?

僕は、少女を砂浜に降ろし並んで寝転がった。
空は、曇っていた。
いや、空では無いのかもしれない。

「まだ大丈夫か?苦しくないか?」
少女は、満足そうな笑みを浮かべた。
「大丈夫。ここまで来れたから、もう良いの。」

波音だけが響く砂浜。
僕は、心の平安を感じながら、いつの間にか眠っていた。
何時間たったのだろうか?
ハッと気付き、起きあがり横を見ると少女の身体は、まるで空気が抜けた風船の様に
グンニャリしていた。
「僕の血を吸えば良かったのに!キミが助かったのに!」
少女の身体は見る見るうちに崩れていく。
「僕が、キミをこんなところまで連れてきたから!
僕のせいでキミが壊れてしまった!」

まるで紙のように薄くなった少女を抱きしめ僕は泣いた。
耳元で微かに少女が囁いた。
「私を幸せにしてくれて、ありがとう。」

海の向こうから小さなボートが流れてきた。
僕は、少女を乗せて沖まで流した。
ボートは、海の向こうに戻っていった。
僕は、砂浜に立ち、いつまでも海の彼方を眺めていた。



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