いとしのエリー
1979年11月8日、
その日、高校2年生の僕は、洲本実業高等学校の体育館にいた。
文化祭だった。
椅子が並べられ全校生は、舞台に注目していた。
席は自由で、悪グループは後ろ、我々真面目グループは前に座っていた。
僕は、殆ど舞台にカブリ付きの状態だった。
読書感想文の入選者の発表が行われた。
僕は、その時、佳作入選で舞台に上がった女の子に一目惚れしてしまった。
名前が、○○エリコだったので、当時ヒットしていたサザンオールスターズの「いとしのエリー」に引っかけて
密かにエリーと名付けた。
クラスは、商業科1−B、僕が入部してる吹奏楽部のトロンボーンパートが練習に使ってる教室だった。
でも、あんな可愛い子がいたことは知らなかった。
11月25日、洲本市民会館で吹奏楽部の定期演奏会。
放送部の中にエリーを見つける。
12月1日、洲本市民会館に大阪音大クラシックコンサートを見に行く。
なんとエリーも来ていて、中に入って行くところだった。
それから学校や自転車置き場でエリーをちょくちょく見かけるようになる。
12月21日、クラブのパート練習で1−Bに行くと多分、誰かが年賀状を出すためだと思うがクラスの女の子の
住所を書いた紙切れを机の上に忘れていたのだ。
即座にエリーの住所を生徒手帳に書き写す。
僕は、エリーに年賀状を出した。
差出人名はイニシャルの他に「洲実のグレンミラー、あるクラブの部長」と書いた。
1980年1月17日。
いつも一緒に練習してる一学年下で同じトロンボーンパートのNが休みだったので、一人1−Bへ。
すると副委員長だったエリーが、書記の女の子と二人で教室の前と後ろの黒板に行事予定を書いていたのだ。
帰りかけたエリーに思い切って声をかけた。
「ちょっと、すみません。」「はい?」
「あの・・・、○○さんでしょ?」「はい?」
「正月に妙な年賀状来ませんでしたか?」「来ました。」
「あれ出したん僕なんです。」「・・・。」
「あの・・・、返事下さい。口で良いんです。」「・・・。」
「付き合いよる人おるんですか?」「いません。」
「僕みたいなタイプ、嫌いですか?」「面白い人だと聞いています。」
暫く沈黙の後「後で考えときます。」とエリーは教室を出ていった。
エリーと話が出来た!!
1月22日、1−Bで練習してるとエリーが外から友達に頼んで机の上の物を取って貰ったりして、
完全に避けられている。
放送部が「戦争について」というコンクールに出す作品を作っていると言うので
いちびって長々語る。
終了後、「放送部に○○さんて居るやろ?」と聞くと何を思ったのかエリーが「何ですか?」と
やってきた。
一緒にいたNも気を利かせて出ていき、二人で話す。
それで、文通をすることになり、「ずうずうしいですけど・・・。」と握手をしてもらう。
あの憧れまくったエリーと握手!!
文通も出来るのだ!!
手紙が届くたびに必ず僕は、便箋5枚に返事を書いた。
エリーも、長い手紙をくれた。
2月7日、エリーの16歳の誕生日だ。
妹に頼んでネックレスを買ってきてもらっていた。
手紙でプレゼントを渡したいから放課後1−Bに来てほしいと頼んでいた。
エリーは、「こんにちわ。」とやって来た!
また気を利かせて出ていくN。
3:30から5:00まで二人で話す。
彼女は、放送部を辞めたがっていた。
野球部が練習してるのを窓から見ながら「私、あんな一生懸命やってる人のお世話したいねん。」と言った。
やがて彼女は、放送部を辞めて野球部のマネージャーになった。
僕は、手紙が来ると即返事を出した。
なのに彼女からは、忘れた頃に手紙が届く。
僕は、彼女の帰りを待ったり家に電話して返事の催促をした。
不安だったのだ。
写真が欲しいと手紙に書くと、やがて犬を抱っこした可愛い写真が送られてきた。
僕は、それをビートルズの定期入れに入れて学生服の内ポケットに入れ
お守りの様に毎日持ち歩いた。
4月4日、僕の18歳の誕生日だったが、エリーからは何も連絡無し。
4月7日、帰宅するとエリーから手紙が届いていた。
何と家まで来て、外で遊んでた僕の妹に手渡したらしいのだ!
内容は・・・。
こんにちわ。実は、これで最後の手紙にしたいのです。
○○さんの手紙でハッキリと気持ちが聞きたいと
書いてあったので、この際、ハッキリと書きたいと思います。
今、私は好きな人がいるのです。
○○さんから文通を申し込まれ、ペンフレンドならと
OKをした時から、もしも好きな人から
いい返事が来たなら文通はやめようと
思ってました。
○○さんには悪いけど今は、その人の事以外は
考えられません。
これ以上、文通を続けていると、どんな誤解を
まねくかもしれません。
そうなれば、私、とてもつらいです。
○○さんにもこの気持ちはわかってもらえると
信じています。
さようなら
P.S 4月4日 誕生日おめでとう
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中には、プレゼントらしい何かのオマケ(プチペン書いてある。)のネックレスが
入っていた。
それが、ちょうど10通目のエリーからの手紙だった・・・。
数ヶ月後、雨の日、
帰宅するため傘をさし学校の坂道を降りていると前に見覚えのある後ろ姿を見つけた。
エリーだった。
彼女は、後ろを振り返り確かに僕を見たのに表情に何も変化を見せずに
そのまま去っていった・・・。
1982年、後輩のNが予備校に通うために大阪に出てきた。
僕は、彼のアパートに遊びに行き、卒業アルバムを見せてもらった。
なぜかエリーは、野球部の写真に写っていなかった。
あんなにマネージャーをやりたがっていたのに辞めてしまったのか?
名簿で、神戸の宝石店に就職したことも知る。
元々、彼女は、神戸生まれで中学生の時に淡路島に転校してきたので
神戸に帰りたかったのだろう。
1998年、申し込んでいた洲本実業高等学校同窓会名簿が送られてきた。
僕は、真っ先に調べた。
エリーは、結婚して姓が変わり、明石に住んでいるらしい。
2001年、僕は、39歳。
エリーは、37歳だ。
でも、僕の思い出の中に住んでる「いとしのエリー」は、今も高校生のままなのだ・・・。
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