TSUNAMI



1987年3月、
僕は、大阪の淡路町にあるスクリーン印刷の会社に就職した。
印刷と言っても、商品は、看板やプレートが主だった。
会社は、2階建てで、僕は、1階で製版の仕事をした。
2階は、事務所と製版に使うフィルムの製作をしている作業場で、
少し離れたビルの1階に印刷工場があった。

2階では、3人の若い女の子が作業をしていた。
その中に陽子ちゃんがいた。
陽子ちゃんは、会社には、毎日、目の覚めるようなボディコンスーツでやって来た。
会社に着くと、アルプスの少女の様な服装に着替えた。
髪は、サラサラで背中まで伸ばしていて、甘えたような喋り方をした。
顔立ちも、アイドル系で可愛かった。
面接で初めて会社に行き、見かけたときから気になっていた。

ある日、仕事をしていると陽子ちゃんが近づいてきて
「ピザとか食べますか?」と聞いてきた。
僕は、「ハイ。食べますよ。」と言うと、
「そのうち皆で食べに行きましょうね。」と言われた。
僕は、その日から毎日、誘われるのを待ったが、一向に声は掛からなかった。

陽子ちゃんは、他の会社の営業社員にも、もてていた。
僕の見ている前で、頻繁にデートに誘われていた。
「え〜っ、どうしようかな?」と甘えた声ではぐらかしていたが、
会社の前で車を横付けにして陽子ちゃんが2階から降りてくるのを待つ男は多かった。
僕の目の前で、いかにも高そうな車に乗り込む陽子ちゃんの姿も見た。
僕は、そんな営業の奴等とは、まともに口をきかず、無言で商品を渡した。

入社して何日たっても、僕は陽子ちゃんと話が出来なかった。
3時になると、2階の女の子が毎日交代でコーヒーを持ってきてくれていたのだが、
「ありがとう。」の一言すら言えなかった。
陽子ちゃんは、印刷工場の人に言う形で、僕に聞こえるように
「コーヒー持って行ったら、ありがとうぐらい言うてほしいわ。」と言った。

宴会の時、印刷工場の人が僕と陽子ちゃんを交互に指さし、
「こう、引っ付いたらええんじゃ。」と戯れに言った。
陽子ちゃんは、露骨に嫌そうな顔をした。

毎日、昼休みは、近くのコンビニで弁当を買って、薄暗い工場で一人食べた。
ラジカセを持ってきて、大音量でかけながら。
陽子ちゃんに、「私も、その曲好き。」と言ってもらいたくて、色んなジャンルの曲を流した。
でも、陽子ちゃんは、もう僕には見向きもしなかった。

相変わらず、陽子ちゃんはモテモテだった。
ひとしきり僕の目の前で、他の男といちゃついて2階に戻る。
一人になった僕は、ロッカーや壁をボコボコ殴った。

1889年10月、
仕事中に胃が痛くなり、即、入院することになった。
胃潰瘍だった。
10月31日から、12月2日まで、千里丘中央病院に入院。
さらに、12月17日まで、自宅療養。
入院中、陽子ちゃんが同僚と二人で見舞いに来てくれた。
「本とか読みますか?」と聞かれたので「読みます。」と答えると
カバンから吉本ばななの「キッチン」を出して貸してくれた。
一気に読んだ。
仕事に復帰して、本を返した後、「キッチン」の話をしようと一人で残業していた陽子ちゃんに
話しかけると、邪魔だと言わんばかりに向こうをむいたまま返事をされた。
それはそれ、これはこれという感じだった。

毎日、同じ様な日々が続く・・・。
薄暗い製版工場でトルエンや薬品を使い、ドロドロの作業服で仕事をする。
腹が立てば、ロッカーを殴る。
ギザギザのところに拳が当たり、ズルッと擦りむいて血が出た。
何もかも空しく感じていた。

胃の調子も、相変わらず悪い。
親と話し合った結果、淡路島にUターンする決心をした。

1990年8月、
僕は、会社へお別れの挨拶をしに行った。
急に独断で決めたことだったので、怒ってる人も多かった。
帰り際、「長い間、お世話になりました。」と全員を見てお辞儀する。
すると、陽子ちゃんは、まるで天使の様な綺麗な笑顔でお辞儀をしてくれた。
それは、陽子ちゃんが、僕に初めて見せてくれた笑顔だった。

津波のような寂しさが僕の心を襲った。



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