Forever You(ZARD追悼)


2007年1月25日、
僕は、16年4ヶ月勤めた会社を退社した。
それから、失業生活に突入した。
2月26日、実家からの電話で、子供の時から可愛がってくれた
近所のおっちゃんが突然死した事を知った。
僕が、高校を卒業して大阪に出る時に餞別として1万円をくれたりした。
僕が淡路島にUターン(逃げ帰った?)をしてからは、何だか期待を裏切ったみたいに感じて
なるべく顔を合わさないようにしていた。
そのおっちゃんが突然亡くなった。
葬式は、都会に住んでいる息子のところで行い、出席も出来なかった。
それからも、好きだった芸能人の訃報が、やたら続いた。
他にも応援していたモーニング娘。関係の不祥事が続いたり、メガネを作りに行くと
老眼が始まっているとか言われたりして落ち込む事しきりだった。
そこへ、5月28日のニュースで知ったZARD転落死のニュース。
実は、立ち直れないくらい落ち込んでしまったのだ。

そもそも、初めてZARDを知ったのは、当時毎週見ていたドラマ「白鳥麗子でございます!」の
エンディングテーマ曲に「負けないで」が使われていたからだ。
でも、僕は素直じゃなかった。
「何が負けないでじゃ!クソアベックのテーマ曲め!」ぐらいにしか思わなかった。
不快感すら感じていたのだ。
(今にして思えば、あまりにも僕が求めて得られなかった世界がそこにあり自分に対しての
不快感だったのだ。)

初めて買ったZARDのCD

時は流れ・・・、毎週見ていたアニメ「ドラゴンボール」の新シリーズ「ドラゴンボールGT」が
始まった。
テーマ曲「DAN DAN 心魅かれてく」の作詞がZARD、エンディングテーマ曲の「Don’t you see!」を
作って歌っていたのがZARDだった。
いつも買いに行くレコード店に行くとニューアルバムの「TODAY IS ANOTHERDAY」が店内で流されていて
作詞だけしていたはずの「DAN DAN 心魅かれてく」が聴こえて来たのだ。
まさしくDAN DAN 心魅かれてく!速攻で購入!
以後、過去の作品も買い漁り、新作が出ると予約。
ZARDさん、ごめんなさい。実は、好きだったんです。ひねくれてました。

WEZARD会報1号

1999年、船上ライブに行きたくて「ZARD BEST」を5枚も買い、ハガキを送るが落選。
それから発足したばかりのファンクラブWEZARDにも入会し、大阪でのイベントにも参加。
初めてのライブツアーは、平日で有給休暇を取る勇気が無くて断念。
今度、ライブをやる時には、たとえ会社をクビになっても休んで行くぞ!と心に誓った。

2007年5月、WEZARDの会報36号が届く。
いつも通りの内容で、泉水さんもインタビューで「もう一度南仏に行きたいですね。」とか書いていた。
恒例の2月6日のバースディBBSでも「また来年もBBSでお逢いしましょう!」と本人の書き込みも
あったらしい。
6月末日で有効期限が切れるので5月23日に郵便局から1年分の会費を振り込む。
で、25日の夜・・・。

以前の会報に体調を壊したみたいな事が書かれていたのだが、それが癌だったとは!
闘病生活を送っていたなんて!

ひたすら一人で落ち込む日々だった。
誰かに慰められる事も無い。
誰かと悲しみを共有する事も無い。
ひたすらに、どんどん気持ちが落ち込んで行った。
大阪まで献花をしに行こうかとも思ったけど献花台をデジカメで撮影する自分が想像されて
嫌な気分になって止めた。
何をどうしたって坂井泉水さんが死んだ事実は変らない。
もう、コンサートに行く夢は消えた。
新曲も、もう聴けない・・・。
せっかくファンクラブで優先席が取れたのに・・・、ひたすらコンサートに行かなかった事を後悔した。
あまりにも悲しすぎてZARDのCDが聴けなかった。


ZARDよ永遠に


1週間過ぎた頃、ようやく「Golden Best」を聴いた。
DVD「Le Portfolio」を見た。
まるで、それ自体、追悼作品のように活動を総まとめする内容だった。
なのに、だんだん元気が湧いてきた。
ひたすら明るくて前向きなのだ、ZARDは!
死んでもなお僕を励ましてくれるのか!
「悲しんで欲しくて、私は、歌っていたのではない!」
泉水さんに、そう言われている気がした。

そう思って、すぐに2007年6月6日、この文章を打った。



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