スローなマーチにしてくれ(1)


1978年
3月20日
「あった!90番!」
その日、僕は、兵庫県立洲本実業高等学校機械科に合格した。
早速、中学時代の先輩に陸上部入部を誘われたが断った。
僕は、子供の頃から高校に入ったら剣道部に入ろうと心に決めていた。
しかし、親に話すと「防具が高いからダメだ!」と言われる。
それでは、文芸部に入ろうと思ったが洲実に文芸部は無かった。
決めかねていると雑誌の星占いに「ブラスバンドに入ればいい。」と書いてあったので
あっさりと吹奏楽部入部を決めた。

4月4日
キャンディーズ解散。
16歳の誕生日。


4月10日、入学式。

4月14日
「長いなあ。」と思った。
体育館でのクラブ紹介。吹奏楽部の部長という太っていてサングラスをかけた人が長々と。
その日の放課後、何と地下にある部室へ行ってみた。
入り口のところをぶらついていると二人の怖そうなお兄さんに腕を捕まれ連れ込まれた。
デコの広い人に「何吹きたい?」と聞かれ「何でもエエ。」と答える。
「ほんだあトロンボーンせんか!おい、O県!」と呼ぶといかにも頭のよさそうな人が
トロンボーンを持ってやって来た。
「付いておいで。」と言われ、食堂横の通路で教えてもらう。
音が全く出ない!吹くのではなく、唇を振るわせるなんて知らなかったのだ。

4月18日
いつも一緒に帰っていた中学時代の同級生が来て「クラブを休め。」と言った。
そこには、部長のO下さんとO県さんが居た。
半分無関心のO下さん。
O県さんは、「そんな甘いもんとちゃうで。」と言った。
僕が迷っていると「帰るんやったら帰ったらええし、来るんやったら来たらええし。」と言い残し
O県さんは、階段を上がっていく。
僕は決心した。すまなそうな顔をしつつ、O県さんの後を追った。
その帰り道、「トロンボーンのテクニック」という高い教則本を買った。
本気でトロンボーンの練習をしようと心に誓った。

O県さんは、三年生でトロンボーンのパート長。
O県さんは、中学時代はテニスをやっていて、僕と同じ初心者から始めていたのだ。
それで、僕に色々と自分の経験談を語ってくれた。
同じトロンボーンには2年生のE口さんも居た。

ひたすらO県さんの特訓を受けたが相変わらず「ソ」から上の音が出なかった。
初めての合同演奏でミジメだったこと。
もうクラブを辞めたいと思った。

4月29日
新入生歓迎会。
同じ学年の男は、僕のほかにT畑、S木の3人だった。
そして、可愛い子ちゃん発見!
新入生代表で答辞を読んだ子でクラスでも話題になっていた子だ。
僕は、密かに彼女にミッシェルというあだ名を付けた。

5月5日
淡路島の高校音楽部、合同野外演奏会。
曲は、「宇宙戦艦ヤマト」と「キャンディーズメドレー」。
「ソ」までしか音の出ない僕に演奏出来るはずはなかった。
OBのT田さんに「かっこだけでもせえ。」と言われたが。
ミジメだった。めちゃくちゃミジメだった。
「来年を見とれ!」僕は、心で叫んだ。

5月12日
遠足。何と中学時代の友達がミッシェルことK田さんを追い掛け回しているのを見る。
同じ女の子を好きになっていたのか!
僕は、身を引くべきだと思った。

僕には、トロンボーンだけが残り、皆が帰った後も一人残って練習する日々が続いた。

そんなある日、K田さんがクラブを辞めたいと言っているのを耳にした。
先輩たちがベタベタしに来るかららしい。
でも、それは、いつの間にか解決したようだ。

6月3日
合同演奏のときに皆の前で、あのデコの広い指揮者のY崎さんに名指しで褒められる。
その頃には、一応曲を演奏出来るようになっていた。

6月17日
とうとうK田さんと話が出来た。
多数部員が西宮で行われる「2000人の音楽会」に行き、練習は自由だった。
その帰り、部室で談笑している奴等を尻目に出て行くと鉢合わせをしたのだ。
「あれ?今日、行かんだん?」「行こうと思ってたんやけど。」
「さようなら。」「さようなら。」
それだけなんだけど、嬉しくて舞い上がった!

6月の後半頃には合同演奏で音が割れるくらいになった。
O県さんは、「メチャクチャやいよる。」と呆れ、他の人には、「えーぞ!」と言われる。
Y崎さんにも「練習しとる!」と褒められた。

6月25日
創立50周年式典で洲本市民会館のステージへ。
終了後、本町に行くY崎さんとパーカッションのK林さんの後を付いて行くと
「付いてっても何もやらんぞ!先輩やいうても、わしゃ、そんなんせんのじゃ!」と
Y崎さんに怒鳴られた。

7月4日
図書室でY崎さんに会い「あんまり本ばあ読んみょったら秀才になんぞー!」と言われた。

7月18日、19日、20日
1年生全員、青年の家でキャンプ。
19日、商業科とフォークダンス。
何とK田さんと踊れたのだ!
僕の顔を見て「こんにちわ。」とにこやかに微笑んでくれたのだ!何というラッキー!
20日、家に電話があり「僕、誰か分かる?」と言われたので「分からん!」と言うとO県さんだった。

夏休み。
屋上でドリル演奏の練習の日々。

部室の水道官に木の棒が刺さっていた。
何気なく抜くと水がドバーッと噴出した。驚きまくり。

7月27日、28日、29日
野球部の応援。姫路、神戸、明石の3日間。
暑い上に唇の皮がめくれ、喉から血が出るほど演奏。
でも、O県さんと分けたジュースや弁当は美味かった。
明石では、小さくTVにも映った。

8月1日
島祭りの行事で洲本本町をパレード。
O県さん、のぼせて鼻血を出した。

クラブが休みの日も練習に行く。
たまにK田さんと二人きりの時もあったが話はせず。

8月23日、24日、25日、26日
一宮文化会館でクラブの合宿。
2年のK藤さん、ケガをして救急車で運ばれた。
夜の肝試しでは、同級生のI本さんと組む。
が頻繁にT畑の事を気にしているのでシラケた。
Y崎さんやOBのO県さんに優しく話しかけられたのには感激。
ハードだったが、実のある合宿だった。

夏休みには、楽典を買い、楽譜の勉強もした。
昼は、O県さんと二人で弁当を食べた。
教室のカーテンで汗を拭いたりして、お堅いO県さんの意外な面も見れた。

新学期。ドリル演奏のダンスの練習も始まる。

9月16日
連合音楽会。O県さんに紙パックのコーヒーを奢ってもらう。
「愛情の花咲く樹」のスタンドプレイに緊張。

9月20日
交通安全パレード。

9月24日
信用組合の記念式典の演奏。

9月26日
体育祭。

9月28日
文化祭。

10月11日
衣替えで学生服に。
部室に行くと先輩方に「学生服の申し子や!」と言われる。

演奏行事の嵐も過ぎ、勉強が疎かになり補習を受ける日が多かった。
終了するとクラブに飛んで行き一人残って練習。

11月12日
日曜日だけどO県さんから「昼まで練習せんか!」と電話が。
終了後、「何か食べて行くけ?」と言われK田さんの実家のたこ焼き屋へ行き
奢ってもらった。

11月13日
定期演奏会のポスターを貼りに町に出る。

風邪をひいたり歯が欠けたり、最悪のコンディション。

11月25日
三年生にとって最後の合同演奏。
なぜか気分が乗らず、メチャクチャ吹いてしまった。
皆、帰った後、O県さんが一人部室の掃除をしていた。
もっと気分良く練習すれば良かったと思った。

11月26日
洲本市民会館にて定期演奏会。
結果は、最悪だった。
Y崎さんとE口さんに「音悪いから出すな!」と怒られ気分を悪くし
メチャクチャな演奏をするわ、ドリル演奏の演出で使う帽子が僕だけ廻って来なかったり
楽譜を出し間違えたり・・・。
なのにOBのO県さんとT田さんは「よーやった!」と握手を求めてきた。
終了後、コトブキで打ち上げ。
OBの奢りで、レモンティー、エビピラフ、ミートスパゲティ、ビーフカレー、フルーツパフェを食べる。
気分も治った!

11月27日
定期演奏会の反省会。
昨日の録音テープを聴きながら、皆、泣いたりして感動の嵐!
僕は、一人、ふざけた事を言って笑っていた。

11月28日
3年生が来ない!卒業するまで来てくれると思っていた僕は、愕然とする。
O県さんのトロンボーンを修理に出すのでケースを開けてみるとピカピカに磨かれ、整理されていた。
僕は、泣きそうになった。
全体部会の後、学年別に分かれ学年部会。
壁に貼られている3年生の出席簿が、早くも切り取られていた。
張り切る同級生の前で僕一人、O県さんの事を語り、皆をシラケさせた。

翌日からE口さんと二人で練習を始めるが、まともな練習はせず。

O県さんのトロンボーンが修理から戻ってきた。
本来なら、それを使うべき2年生のE口さんは、僕に使えと言う。
それで僕がO県さんが使っていたトロンボーンを使うことになった。


12月23日
クリスマス会。久々に3年生も参加。
終了後、1年生全員と2年の新指揮者Mさんは、Y崎さんにモダン焼きを奢ってもらった。

1979年
2月24日
三年生の送別会。
3年生を交えて、懐かしの曲達を合同演奏。
その後、リクレーション。

2月25日
卒業式。
「君が代」と「蛍の光」の演奏。

3月20日
合格発表が有り、新入生たちに勧誘のビラを配る。

もう1年が過ぎていた・・・。

スローなマーチにしてくれ(2)』に続く


もどる

inserted by FC2 system