大阪二十歳前(5)



8月1日、T畑から電話。

2日、洲本市民会館へ淡路島吹奏楽祭を見に行く。
クラブの後輩やOBに会う。
「パン屋、面白いですか?」「面白いけど暑いなぁ。」ツライ・・・。

3日、Y本のお母さんが家に来て話。

4日、5日は、ノンビリ。
毎日、好物ばかり出る。

6日、起床6:00頃で8:10の洲本から出る高速艇で入社式と同じように父と大阪へ。
会社へ行き話を付けて正式に退社。
寮へ行き殆ど父が荷物をまとめる。
パンを買ってきて食べる。
2:00頃、運送屋が来て千里丘へ。料金7,000円にチップ1,000円渡す。
大家さんに挨拶。
難波まで父を送る。喫茶店「コスモス」でコーヒー。
飯代にと1,000円もらう。「いらん。」と言ったが・・・。
中川ムセンでアンテナ。A&Pで鏡とクリープ。吉野屋で牛丼。
アパートに帰る。
父に言われていたので他の部屋の人に淡路島の魚を干した物を配って挨拶。
高麗人参のセールスの人が来て、長々と話していった。
明日から僕の新しい人生が始まるのである。

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こぼれ話

『その1』
4月1日のことだった。
アルバイトのk山君とその友人が寮へやってきた。2人とも僕と同じ歳。
3人で、その日休みだったS内さんの部屋へ遊びに行った。
すると彼女らしき人が来ていて2人はしきりにじゃれついている。
S内さんがタバコをくわえると、その女の人がサッと火をつけるのだ。
僕達もタバコを吸った。K山君がN元さんに貰ったホープだった。
左の手首が突然熱くなった。何とk山君がタバコの火を押しつけていたのだ。
「ワザととちゃうだ?」と聞くと「ワザとや!」と言われた。
腹が立つよりも、そのK山君の性格に戦慄を憶えて何も言い返せなかった。
そんなことがあったのでK山君がアルバイトを辞める日、皆にコーヒーをおごってくれると
言うのに僕一人行かなかったのだ。

『その2』
食堂にいた肥えたオバチャンは優しい人だった。
僕が食事中彼等に嫌がらせをされていると「新しいに入った子に、そんな嫌がらせして
面白いんか!?」と怒ってくれた。
するとN元さんは「何ーっ、オバン!殺したろかー!」とオバチャンの胸ぐらを掴んで脅した。
オバチャンは毅然とした態度で「殺すなら殺してみなさい!そしたらアンタ嫌な目に遭うから!」と言い返した。
N元さんは、黙って椅子に戻った。
しばらくしてオバチャンは箱洗いに仕事が変わった。

『その3』
N元さんは、やたらと洋菓子のN野が生意気だと言っていた。
ある日、食堂で「そんでもワシも19にもなってアホな事出来らんからのぅ。」と言い、
N野には文句も言っていない。
N野は慰安旅行の時も女といちゃついて大きな顔をしていたが・・・。
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8月7日、昨夜の高麗人参のせいで一睡も出来ず。
仕方なし昼、難波へ行き会社へ残りの給料を貰いに。
会社へ行くとY木さんが窓から外を見ていて慌てて反対側から入る。
給料は2万円ちょっとあった。
「お世話になりました。」と出る。
府立体育館横で立ち食いの天ぷらうどん。
履歴書を買い履歴書用の写真を撮る。
区役所で転出届、銀行で住所変更、吹田市役所で転入届。
ダイエー彷徨きバスで帰る。
ガスコンロ、つっかけ、ワゴン、缶切り、スプーンを買う。
飯を作る。不味い・・・。

8日、フライパンとヤカンを買う。
「就職情報」に載っていたKデザイン事務所へ履歴書を送る。
近くの銭湯弥○湯に初めて行った。

9日、その場しのぎのアルバイトを探しに出るが見つからず。
同級生のI本と後輩のN水に手紙を書く。
(ちなみに2人とも返事をくれなかった。)

10日、またバイト探しに出るが見つからず。
難波へ行く。
ニノミヤムセンで予約してあった奈保子の「ダイアリー」を買う。
ジョン・レノンの「イマジン」も買う。
家に電話。「気長にやれ!」と励まされる。

14日、ミリカプールまで散歩。
Y本から来ると電話があり掃除をして待つ。
5:00前に来て近くのスーパーへ行きY本が金を出してくれて買い物。
晩飯は僕の作った野菜炒めとオデン。
TVを見た後、Y本の電話に付き合う。
Y本、泊まる。

15日、起床9:30頃。水くさいコーヒーを作りお茶漬けと昨日の残り物を朝飯にする。
腹痛を我慢して2人で散歩。
見晴らし台からミリカプールへ。
あまりの腹痛に耐えかねてチョイちびり、ミリカプールの便所に走る。
そして毎日放送の入り口まで行くが警備員に「君等、何や?」と言われ戻る。
僕は、コーヒー、Y本はスイカを買い分ける。まだ腹はゴロゴロいっている。
TV見たりステレオ聴いたり歌を歌ったり。
晩飯はモダン焼きを食べに行くが何やうっとうしい店。Y本は焼きそばを食べた。
着替えて6:30頃難波へ。
府立体育館の横でY本を待ち、服を貰い別れる。
夜、アホなことに1度はめてみたかったのでコンドームを自動販売機で買うが
バチが当たったのか奉ってある水をまく。

17日、大家さんに金槌を借りて崩れかかっていた壁に釘を打つ。
夜、「大阪 lonely night」という詩を書く。

20日、8:30頃、大家さんにノックされたが起きれず12:30頃目覚める。
ドアに自宅へTELせよと書かれた紙切れが。
金をつぶし、急いで電話をすると、僕が何をしているのか気になったということだけだった。

21日、どうも身体の調子が悪い。
大箱のヨーグルトと妙な野菜炒めを食べ、また腹を壊す。
夜、昔書いた詩を読んだりする。

23日、また朝の6:00前まで眠れず。
やっと眠れたと思ったら起床は昼3:30。1日タバコ1箱。荒れた日々。
一対何日こんな日々が続くのか?
近所のスーパーのモータープールでステージとかやっていて夜中まで騒がしかった。

24日、エキスポランドまで散歩。
すれ違った大学生らしいグループに「あのイモ何な?」というような見下げた目で見られる。
メガネのフレーム、何もしないのに取れる。不吉だ。
その予感が当たりKデザイン事務所から不採用通知が届く。
17日間も音沙汰無しで・・・。

26日、Oデザインスタジオへ電話をして面接を受けに行く。
梅田の街で道に迷い、何とか辿り着き「とにかく仕事が辛かろうが給料が少なかろうが
やりぬきます!」と売り込む。
梅田をぶらついて帰る。

30日、テレビで「石野真子ラストコンサート」を見る。毎日暑い・・・。

9月2日、数えると後6,000円ちょっとしか無い!
もうじきガス代とステレオのローンを払わないといけないのに・・・。

4日、11:00頃、大家さんに起こされ戸を開けると家からの書留が届いていた。
15,000円と父からの手紙。
雨の中、Oデザインスタジオに電話をすると、不採用!クソー!
もう「就職情報」はアカン!
今度は「アルバイトニュース」で探す。また履歴書を書く。

5日、梅田の昭○堂印刷へ電話をして面接を受けに行く。
凄い古い会社。
趣味が「作詞作曲」というのを気に入られる。
ここがダメなら、もうしまいや・・・。

7日、最近、妙な夢をよく見る。
今日は、どこかの田舎道を自転車で走ってる夢だった。

8日、1:30頃、大家さんに起こされ電話に出ると昭○堂印刷から採用の返事!
明日から来てくれと言われる。
やったー!
早速、家に知らせる。5日に電話をしたとき「お前の話出るたび、家の中暗なる。」と
言われていただけに大喜びされた。
晩飯は、揚げ物。わりと御馳走や。
よーし、新しいスタートや!今に見とれー!
どデカい星になったるんじゃー!!

『大阪二十歳前』おわり

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あとがき

今年の4月4日、僕は二十歳となった。
大阪へ出てきたのが十八歳の終わり。
早いものである・・・。
○○○○○入社、退社、そして今勤めている昭○堂印刷に入社するまで、
それをありのままの姿で書いたのがこの「19歳の叫び」である。
まさに恥そのものであるこのような出来事をあえて書いたのは
僕の十代のひとつのケジメをつけたかったからである。
旅はまだ続く。
その為に・・・。

1982年6月3日
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あとがきのあとがき

今年の4月4日、僕は三九歳となった。
そう、「大阪二十歳前」から、ちょうど二十年の時が流れた。
この作品は、もともと二十歳の時に「19歳の叫び」というタイトルで
大学ノートにサインペンで手書きされたものだ。
人に読んでもらうことを前提にしていないので意味不明の部分も有ると思う。
人名などを伏せ字にした以外は、ほぼ原文のまま載せた。
これは僕が実際に経験したことなのである。
僕は、たまたまこの作品を押し入れの中から見つけ読んでみたとき
改めて当時の悔しさや悲しさが蘇ってきた。
実に悲惨な日々だった。
でも、読み進むうちに不思議に愉快な気持ちになってきたのだ。
こいつ若いよなー。燃えてるよなー。
ともすれば安穏とした毎日に流されている今の僕に「大阪二十歳前」の僕が
語りかけてきたのだ。
「今、幸せになってるんか?」
僕は、答えた。
「やったるよ!今に見とれ!
絶対に幸せになったるよ!お前の為にな!」

【 この作品を今、苦しい状況にある人に捧げます。   2001年7月29日 諸星アキラ 】


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