老いるということ
僕は、毎日、昼休みに近所の総菜屋さんに弁当を買いに行く。
結構、距離はあるけど歩いて行く。
これが僕の健康法になっている。
その日も弁当をぶら下げ、会社へ戻る途中だった。
前方をお婆さんが老人車を押しながら、ゆっくりゆっくり歩いていた。
変わったズボンを履いているな、と思った。
近付いてギョッとした。
尻を出していたのだ。
ズボンの柄ではなくて、お婆さんの尻だったのだ。
歩いているうちにズボンが、ずり落ちたのだろうか?
お婆さん本人は、気付いているのだろうか?
気付いていても、自分で上げられないのだろうか?
「お婆さん、尻が出てますよ。」と声を掛けた方が良いのだろうか?
声を掛けている時に誰かに見られたら、僕が、お婆さんに悪戯をしているように思われないだろうか?
追い越すまでの短い時間、僕は、色んな事を考えた。
で、結局、お婆さんを追い越して黙って行ってしまった。
会社に戻り、買った弁当を食べながら、また色々考えた。
「あのお婆さんは、何処へ向かっていたのか?
そこへ辿り着くまで尻を出したままだったんじゃないか?
泣きそうな気持ちで歩いていたのではないか?
もしも、あのお婆さんが、自分の母親だったら?」
人は、誰でも老いる。
今、繁華街を彷徨いているピチピチギャルも、お婆さんになる。
僕も、お爺さんになる。
その時、道を歩いていてズボンが、ずり落ちても自分で上げられないようになっていたら?
恥ずかしいと思いながら、尻を出して歩いていかなければならなかったら?
その時、誰かが助けてくれるだろうか?
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