思い出のスクリーン



わんわん忠臣蔵
昔、僕の生まれた街に「朝日座」という小さな映画館があった。
前半分が畳敷き、後ろ半分が椅子になっていた。
そこではアニメから時代劇まで、何でも上映されていて何時も満員だった。
娯楽のない時代だったのだ。
保育園に上がる頃の僕は、直ぐ下の妹と一緒に、お袋に連れられ「朝日座」に行った。
「わんわん忠臣蔵」というアニメが上映されていたのだ。
同時上映は、時代劇だった。
時代劇が始まると退屈した子供達が何人も舞台に上がり踊り始めた。
スクリーンに影が映って見えなくなってるのに大人達は、「可愛いなぁ。」と言って喜んでいた。
舞台で踊ると「可愛い。」と言ってもらえる!
僕は、妹に「僕等も踊らんか!」と言って子供達が舞台から降りると入れ替わるように上がって踊った。
すると、予想に反して客席から「ボケー!」とか「死ねー!」とか強烈な罵声を浴びせられたのだ。
丁度、「わんわん忠臣蔵」が上映され始めていたときでタイミングも悪かった。
それでも、理不尽なものを感じて、僕と妹は泣きながら踊り続けた。
お袋も泣きそうになりながら僕達を舞台から降ろそうとした。
今でも「わんわん忠臣蔵」がテレビで放送されていると嫌な気持ちになる。


ゴジラ対ヘドラ
小学4年生の時、同じクラスのS谷が「ゴジラ対ヘドラ」を見てきたと自慢していた。
♪水銀、コバルト、カドミウム♪という歌を歌いながら「ゴジラが飛ぶんやで!」と言った。
ゴジラが飛ぶ!見てみたい!
僕は、どうしても「ゴジラ対ヘドラ」が見たかった。
家に帰ると親父が仕事場で働いていた。
僕は、思い切って言った。
「お父ちゃん、ゴジラ洲本に来とるね。見たいんやけど・・・。」
すると親父は、「アカン!お父ちゃん、仕事じゃ!」と怒った。
僕は、当時物置にしていた2階に上がり、しょぼくれて体操座りをしていた。
一人では映画を見に行けなかった。お金も無かった。
しばらく一人でたそがれていると、親父が油まみれの作業服を着たまま2階に上がってきた。
「おい!ゴジラ見に行くぞ!」
親父の軽トラに乗せてもらい洲本の銀映という映画館に行った。
確かにゴジラが飛んだ!凄いぞ!
親父にも見てもらおうと思って横を見ると、グーグー寝ていた。


ドラゴン怒りの鉄拳
小学校の高学年になると同級生達と映画館に行き始めた。
百恵友和映画とか東映のアニメは、一人でも見に行った。
決まって三角パックのコーヒ牛乳と5個入りのミニアンパンを食べながら・・・。
中学生になったとき突然ブルース・リーがブームになった。
皆、教室で「アチョー!アチョー!」と叫びながら物真似を始めた。
洲本のオリオンという映画館に「ドラゴン怒りの鉄拳」がやってきた。
どういういきさつなのか同級生10人程で見に行った。
日本人が悪役だったけど、これがまた面白くて皆興奮状態になった。
よく一緒に映画を見に行ったK野が「ヌンチャクを作ろう。」と言い出した。
僕は、犬の鎖を持ってK野の家に行った。
そこで2人、自家製のヌンチャクを製作した。
家に帰って、早速使ってみた。
「アチョー!アチョー!」
どんなに練習しても自分の身体にぶつけて痛いだけで、ブルース・リーにはなれなかった。


サチコの幸
中学生の時、「嗚呼!花の応援団」が流行った。
後のツッパリブームのハシリであった。
漫画と共に映画もヒットして、僕も一人でロマンタイガーという普段はロマンポルノを
上映してる映画館に見に行った。
1作目は、なぜか松竹の「男はつらいよ」と同時上映だった。
(「嗚呼!花の応援団」は日活の製作だった。)
その硬派の世界に僕も熱中した。
直ぐに2作目が公開された。
その同時上映が上村一夫原作の「サチコの幸」であった。
物語は、新宿の赤線地帯で娼婦をしながらも、いつも明るく優しいサチコの感動ストーリーで
僕は、まさに大人の世界を覗き見る思いで、ある意味カルチャーショックを受けた。
当時キリンレモンのCMに出ていたサチコ役の三浦リカにも夢中になった。
物語の中でサチコの恋人が腕にサチコの名前を入れ墨する場面があった。
多分、それがきっかけだろう。
クラスで好きな女の子の名前を入れ墨するブームが起きた。
コンパスの針でチクチクと腕を彫り、そこへボールペンのインクを流し込むのだ。
中学生達が休み時間に教室の中で入れ墨を彫る。
異常な光景であったが「これがやれない奴は男ではない!」というような空気だった。
僕も男になりたかったので家に帰ってから、こっそりコンパスの針を腕に刺した。
「めちゃくちゃ痛てーっ!!」
痛いことは嫌いなので止めた。



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